大須賀乙字というすぐれた俳句評論家は、大正六年に出版された『鬼城句集』の序文の中で、「明治大正の御代に出でて、能く芭蕉に追随し一茶よりも句品の優った作者がある。実にわが村上鬼城其人である。」と述べて、鬼城の句が「人生の悲惨亊をなめつくし初めて得られる」ところに特徴があることを指摘し、これを「境涯の句」と呼んで高く評価した。鬼城俳句には、人生について深く考えさせられる作品が多いことはまぎれのない事実のようである。
 正岡子規に師事し、高濱虚子の指導を受けた鬼城の主たる活動の場所は、新聞『日本』・『ホトトギス』・『山鳩』等の紙誌であるが、なかでも『ホトトギス』では、巻頭十八回を占め、巻頭作品だけでも二百五句という多数の俳句が選ばれている。
 これらの作品の多くは、「鬼城自画讃」として書と俳画に残されているが、その抜群の造形力やバランス感覚は、まさに近代俳画の最高峰を示すものとして、今改めて注目されている。

*「鬼城并題」とは、絵も書も鬼城作という意味である。





























まゆ玉や



























市中に


























ゆさゆさと

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